2016リオデジャネイロ五輪を目指す来年のU-21日本代表監督に手倉森監督が就任!歴代五輪代表監督は?立候補のラモスは落選。。

2016年のリオデジャネイロ五輪を目指す来年始動のU-21日本代表監督に現在ベガルタ仙台を指揮する手倉森誠監督に決まりました。

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契約期間は2014年1月2日から2016年8月31日までとなっており、手倉森監督は2018年のロシアW杯を目指す日本代表のコーチも兼任している。

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日本代表のコーチを兼任する、この流れは2004年のアテネ五輪監督である山本昌邦監督時代から続いている。

歴代五輪代表監督は?

ここでは出場資格の年齢制限が適用された1992年のバルセロナ五輪以降の監督を紹介します!

山口芳忠(1989-1992)バルセロナ五輪 予選敗退為本大会出場ならず

山口

中心選手

相馬、名良橋、澤登、名波、藤田など

西野朗(1994-1996)アトランタ五輪 本大会予選リーグ敗退

西野

中心選手

川口、田中誠、前園、伊東輝、城、松田、中田英など

フィリップトルシエ(1999-2000)シドニー五輪 本大会ベスト8

総監督トルシエ

中心選手

楢崎、中澤、松田、宮本、中田浩、稲本、中田英、明神、中村、本山、柳沢、高原など

山本昌邦(2002-2004)アテネ五輪 本大会予選リーグ敗退

山本

中心選手

闘莉王、茂庭、徳永、阿部、今野、小野、松井、駒野、石川、高松、田中、大久保、平山など

反町康治(2006-2008)北京五輪 本大会予選リーグ敗退

反町

中心選手

西川、吉田、長友、森重、内田、安田、細貝、本田、香川、豊田、岡崎、森本、李忠成など

関塚隆(2010-2012)ロンドン五輪 本大会ベスト4

関塚隆

中心選手

酒井宏樹、酒井高徳、宇佐美、山口、清武、大津、永井、斎藤など

今回の手倉森で3大会連続でメガネ監督となりますw

 ラモスと手倉森監督のJリーグでの実績を比べてみる

ラモス瑠偉

2006年からはJ2落ちした古巣の東京Vの監督に就任。前年度のレギュラーの殆どを失うチーム状況の中、「1年でJ1復帰」を掲げ、J2に加えACL出場のため登録メンバーを大幅に増やして臨んだが日程は過密となり、前年からの課題であったディフェンス面での不安を解消することが出来ず、J2初年度は7位で終了したが、2007年も指揮を執ることが早々と決定。
この年、チームは名波浩や服部年宏など実績あるベテランを獲得。在籍メンバー大半を入れ替える大型補強を行い、開幕前にはJ1昇格候補の筆頭に挙げられた。体制発表の際にクラブの萩原代表からは、圧倒的な強さを見せられなかった場合は早期解任の可能性まで示唆されており、背水の陣で臨むシーズンとなった。開幕5試合で4勝1分とスタートダッシュに成功したが、その後課題のディフェンス面の不安が露呈し連敗を重ね、第7節(アビスパ福岡戦)から第12節(サガン鳥栖戦)まで6連敗を喫してしまい、「(この先)2連敗なら解任」などといった厳しい状況に追い込まれた。
そのような状況の中、第13節(水戸ホーリーホック戦)も大敗を喫しクラブワーストタイの7連敗となり、しかも不調かつ未勝利の水戸に1-5という大量得点での今期初白星を献上するという失態に、次節の結果に関係なく解任濃厚(後任はコーチの柱谷哲二の昇格が有力)と報道された。しかし、続く第14節(京都サンガF.C.戦)で4-1と大勝し、一転続投が決まった。
その後こだわり続けた4-4-2から3-5-2へとシステムを変更、守備の立て直しを図り、以後は安定して勝ち点を得られるようになった。9月頃からはフッキを1トップに据えた4-5-1へとシステムを変更したがこれが功を奏し、8連勝を記録するなど追い上げを見せ、2位でシーズンを終了。東京VのJ1復帰を成し遂げた。なお、J1昇格を決めたセレッソ大阪戦は、監督に就任してちょうど100試合目(リーグ、ACL、天皇杯を含め)であった。シーズン終了後に監督を退任。
同年9月15日に母がリオデジャネイロの病院で心臓発作のため82歳で死去した。だがこのことを選手にも伝えず、帰国もしないで指揮を執り続けた。

手倉森

2008年、前任・望月達也の監督辞任を受け、監督に昇格(望月の推薦による)。この年は3位となり、J1・J2入れ替え戦に回ったが、その入れ替え戦でジュビロ磐田に1分1敗。J1昇格はならなかった。監督就任当初から、J2の監督という立場でありながら、すでにACLの出場を目標に掲げ、世界で戦うことを明言しており、2012年にその目標は実現される。
就任2年目の2009年は開幕時から好調を維持し、チームをJ2初優勝という形で7シーズンぶりのJ1復帰、さらに初の天皇杯ベスト4へと導いた。
チームがJ1に昇格した2010年も引き続き仙台を指揮。14戦連続非勝利(5分9敗)など、J2時代には経験したことがない苦戦を強いられたが、最終的には14位でJ1残留。
2011年は開幕直後に東日本大震災に伴う約1ヵ月半の中断期間があったが、開幕から12戦連続不敗(6勝6分)を記録。震災後初戦となった4月23日の川崎戦で逆転勝ちした際、試合後のインタビューで感極まり、涙を流した。最終的にはチーム最高の4位に導いた。
2012年は開幕時から好調を維持。初のJ1優勝こそ逃したものの、前年を上回る2位に終わり、チームを初のAFCチャンピオンズリーグ出場権獲得に導いた。
2013年も引き続き仙台を指揮。監督就任6年目を迎える。

ともにチームをJ1へ昇格経験があるが、ラモスはJ1での経験が未経験なのに対し、手蔵森は2012年にJ1で2位へと導いた実績がある。

ラモス

ラモス

 

手倉森

手倉森

上記は指揮した時期は異なるが、J2での両者の実績です。

同じカテゴリーですが、同時期ではない為一概には語れませんが、2年間の通算試合数は両者ほとんど変わりませんが、手倉森の方が若干勝ち試合が多いですね。

また、2008年の3位、2009年の優勝という結果のみを見ても手倉森の方が結果を残せているのではないでしょうか?また、短期勝負の天皇杯でもベスト4まで進んでいる点にも注目です。

結論としては、今までの流れからもJリーグで結果を残した日本人監督→五輪監督の流れから手倉森監督が適任でしょうし、ラモスはビーチサッカーでの実績はあるにせよサッカーの監督現場からは離れている為ブランクがあるので再びJリーグのチームを率いて結果を残してほしいところです。

ちなみにですが、手倉森監督は双子です

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名前は手倉森浩

当たり前ですがソックリですねw

写真はどちらが誠でどちらが浩かわかりますか?w

イマイチまとまってませんが今日はこの辺で失礼します。




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